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蝦夷親不知
第2部
 
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ススキのような植物であればかき分けていけばいいとしても、時にはこのように藪を"くぐって"いかねばならない場所もあります。しかもこういうところでは足下も蔦が絡まり、進むのがとても困難です。
時々上を見れば、オーバーハングしている岩肌に押しつぶされそうになります。あの尽きだしている部分なんか、モロっと崩れ落ちてきそうで…。
背延びして前を見通してみると、百数十メートルほど先でしょうか、丸っこい覆道が小さく見えています。しかしそこまでの道は厳しそう。あと何分かかるだろう。

さて、虻羅という地名は北海道らしい響きに思えますが、意外にもアイヌ語由来ではありません。このあたりの海面は波が静かで油のように見えることから和人が"アブラ"と呼称したことに由来し、古くは"油"とも表記したそうです。アイヌ語でもこの地は"良湾"を意味する"ピリカモイ"という言葉で呼ばれており、とても穏やかな海であったことがうかがえます。
しかしそれに反して陸の方は天嶮といって良い厳しさです。しばしば交通の難所につけられるアイヌ語地名で"悪魔の住処"を意味する"カムイコタン"という名前の方がしっくりくるのではないかと思えてきます。

参考:角川日本地名大辞典1北海道上巻,p92
路上に積もる落石の隙間からは木がにょきにょきと生えており、廃止からの年月を感じさせます…と感傷に浸っている場合ではなく、こういう場所では枝の隙間をくぐっていかねばなりませんので特に苦労します。私は背負っていたリュックが幾度も枝にひっかかるので難儀しました。
お、境界見出し標。

脇に立つポールは文字も鮮やかで、随分と新しそうな印象を受けましたけど、まさか管理されちゃいないよねえ?
ここらあたりから藪の向こうに覆道らしきものがちらちらと見え始めました。自然と足の運びも早くなります。

あと少し、あと少し ひぃひぃ
ああ、やっとついたあ!

ようやく最初の大々的な構造物に到着!廃道の入り口からここまで、たかだか300メートル程に30分もかかってしまいました。
トンネルのように丸い天井をした覆道です。

藪に覆われてしまって全景を納めることはできませんでしたが、見たところではたいした損傷もなく、保存状態は良さそうです。
ひときわ激しく藪に覆われている正面を避けて、脇の隙間から内部へ進入します。
おー。涼しい。藪もない!快適!

非常に良好な保存状態です。柱もしっかりしていますし、屋根も破れておりません。崖から少しばかり距離があるから落石被害からは逃れているのでしょうか。

さて、この覆道の名称は何でしょうか。
覆道延長はおおよそ20m程度(柱と柱の間隔が約1.5〜1.7mであること柱の数13本から計算)と思われるので、現況調書に掲載されていたもっとも南側の隧道である白壁隧道がこれに該当するように思えます。もしそうだとすると、地形図にはトンネル記号で、現況調書には隧道として掲載されているにも関わらず、やはり実態は覆道であったということになります。
果たしてこれは白壁隧道で良いのでしょうか。なんかすっきりとはしません。しかし現実として地形図にあるトンネル記号の場所にあるのは隧道ではなく覆道であり、もとあった隧道を開削したというような状況でもありません。地形図のトンネル記号が示しているのはまず間違いなくこの覆道です。さて、トンネル記号=覆道は良いとしても次に問題となるのは現況調書です。現況調書にある"隧道"は4つ。しかしトンネル記号は5つ。

先にネタばらししてしまうことになりますが、結局どれがどの名前なのか特定することはできませんでした。なので地図の上には特徴を記した名称で記載します。

1:25,000 美谷 昭和54年9月30日発行
覆道は見た目しっかり建っていたもののやはり老朽化は進んでおり、柱の表面は錆だらけでところどころ穴も開いています。ちょっと触ってみたくらいではびくともしませんが、落石や大きな地震があればひとたまりもなさそうです。
覆道を通り抜け、振り返って撮影しました。こちら側の口は瀬棚側と比べて藪が薄く、全体像をよりよくとらえることができました。

さあ、次の覆道はすぐそこだ!
 
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