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ライスランドふかがわ |
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国道233号交差点にある道の駅"ライスランドふかがわ"は、道の駅の人気ランキングでも上位の常連となる人気のある道の駅です。土産物屋に食堂、清潔感のあるトイレ、併設のセブンイレブン、札幌-旭川間の休憩地点として最適な立地など、好条件の揃ったすばらしい道の駅です。私も最も利用頻度の高い道の駅かもしれません。
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地図中1
ライスランドふかがわを通過してすぐ、右カーブと共に車線が減少します。
また、国道233号との重複が始まります。 |
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更に追越禁止。
石狩平野もすでに末端に近づいており、脇から山が迫ってくるのを感じます。
21km先のガソリンスタンドの看板がありますが、この先しばらくはガンソリンスタンドが存在しませんので、エンプティが点いていないかくらいは確認しておきましょう。 |
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| この道路は1889年に上川道路として開通したあと、1907年に「東京より第七師団に達する路線」である国道43号の一部として指定を受けました。国道43号は現在の国道4号で東京から青森へ、そして青森から海路で室蘭、室蘭からは現在の国道36号、国道234号を経由して現在の国道12号ルートで旭川へと至っており、上川道路はその最北部となったのです。 |
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国見峠というちょっとしたピークを超えます。
1920年には現在のルートが国道27号(「東京市より第七師団司令部所在地に達する路線」)、そして戦後の1952年に一級国道12号、1965年に一般国道12号となって今に至ります。戦前、国道というものは軍事的な役割が強く、現国道12号も北の守りという使命を帯びていたのです。では戦後はキナ臭さは取り除かれたのかというと、実はそんなことはありません。冷戦期、国道12号は対ソ連を想定した際、戦略的に重要な意味を持っていました。 |
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オービスがあります。国道12号は全体的に速度に厳しい路線です。
ソ連が北海道に侵攻してきた場合、自衛隊だけで追い返すことは不可能であり、米軍が到着するまでいかに時間稼ぎをできるかが鍵とされていました。ソ連軍は稚内に上陸後、自衛隊の遅延作戦を受けながらも国道40号を辿って南下、やがて旭川市に到達します。この時点でも米軍が到着していなかった場合、旭川の師団は滝川に移り、深川のこの一帯を最終防衛ラインとして国道12号を死守する想定だったそうです。もし万が一ここを突破されると、あとは国道12号を通じて石狩平野を札幌までノンストップで侵攻されてしまうためです。 |
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地図中2
オービス通過直後、一般道道916号湯内内園線交点を通過します。 |
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地図中3
道央自動車道をくぐります。
古より、整備されすぎた交通インフラは諸刃の剣でした。例えば、古代ローマ帝国では現在でいう高速道路なみに整備されたローマ街道が、帝国内の軍隊の移動をスムーズにして帝国の統治と拡大に貢献した反面、一度国境を突破した蛮族の侵攻をスムーズにしました。二次大戦のフランスでは、道路が整備されていた故にドイツ軍の迅速な侵攻を許してしまいました。国道12号も、もしかしたらそういった例の一つに数えられていたかもしれないのです。 |
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地図中4
追越禁止が始まってゆるやかにカーブを繰り返しながら進むと、いよいよ国道12号最後の市町、旭川市に入ります。ただし、終点のある旭川市街地はまだまだ先であり、国道12号の旅は続きます。 |
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