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セタカムイ  投稿者:隧道X 投稿日:2008/09/21(Sun) 19:37 No.2488

zwiebelさん、掲示板をご覧の皆さん、こんばんは。
本日、道立図書館で、1955年1月から1956年8月までの、『北海道新聞(地方版・小樽)』のマイクロフィルムで、初代セタカムイについて調べてきました。

そこで、新たに判明した事実があります。
初代セタカムイ隧道は、1955年に入ってから3回も落盤事故が発生したようです。
残念ながら、1回目と2回目については、新聞に記載されていませんでしたが、
3回目の崩落については、1955年10月13日付の朝刊3ページに、小さく掲載されています。この記事の内容を要約しますと、
「11日夜からの豪雨で、セタカムイ隧道(新聞には古平町字沖村1号トンネルと記載)で、またも24メートルの落盤があり、積丹方面への陸路は完全に途絶した。これで、同トンネルの落盤は、今年に入って3回目となり、完全復旧にはかなりの日数を要するものとみられている。」
といった内容になります。

ここで、1955年11月5日付北海道新聞朝刊8ページ(後志版)の記事に書かれていた、
「初代セタカムイ隧道は、またいつがけ崩れがあるか分からず、危険な状態にありながら応急策がないので、開発局は隧道を通行禁止とし、旧道の山道を修理通行する方針を打ち出した。」
「しかし、旧道は待避所がなく、大型バスでの通行が困難な状況にあるので、開発局の方針どおりになると、バスの運行を休止せざるを得なくなってしまう。」
「そのため、初代セタカムイ隧道を根本的に改良するのか(記事では復旧させるかと記載)、あるいは新トンネル(2代目)掘削にするのかを決定するため、建設省との打ち合わせを行う予定である。」

そして、1955年11月24日付北海道新聞朝刊8ページの記事に書かれていた、
「22日(記事2日前)午後に、古平−余市間の海岸道路、セタカムイ(初代)トンネル復旧について、建設省と開発局小樽開発建設部の間で打ち合わせを行った結果、新たにトンネル(2代目)を掘る方針を固め、予算がつき次第着工することに決まった。」
「延長は350mの予定で、できれば冬の間に工事を進めたい意向であるが、完成は来年3月〜4月頃となり、全線開通は7月頃を予定している。」
という記事の内容とようやくつながりました。

また、古平町史・第3巻の巻末にある年表に記載されていた、
「1955年9月6日、工事中のセタカムイ隧道21mが崩落して、一時交通が途絶えた」という内容は、
1955年に入って1回目もしくは2回目の落盤事故だったのか、単純に同年10月の落盤事故を誤って記載したものか、どちらかであるかもしれません。
参考までに、9月の新聞を見ても、一切セタカムイの落盤事故に関する記事は見かけませんでした。

1956年1月1日の北海道新聞朝刊8ページ(小樽版)に、
『セタカムイトンネル新たに掘削』と題した見出しで、
「昨年10月の豪雨で崩壊したセタカムイトンネルに代わり、開発局では崩落したトンネルより少し山側に、新しく延長325mのトンネルを掘削することにさせ、春早々から工事に取り掛かることにした。総工費は約3300万円、完成は今年7月いっぱいの予定。」
という内容の記事が記載されています。

さらに、1956年3月3日北海道新聞朝刊8ページ(後志版)には、
『導孔が貫通』→タイトル 『新セタカムイトンネル』→サブタイトルで
「セタカムイ第二トンネル(延長320m)の掘削工事は、昨年12月10日から進められていたが、2月28日夜、導孔が貫通した。」
「このトンネルは第一セタカムイトンネルが落盤やガケ崩れで不通となり、これを復旧するには経費も大きく、さらに工事中の落盤という危険が予測されるため、開発局で新トンネルを開削し、6月末までに完成しようと工事を急いでいるものである。」
と記載していました。

その後、2代目セタカムイ隧道が開通するまでの目だった記事は、見かけませんでした。
あえて言うなら、1956年8月2日付朝刊8ページ(後志版)に小さく、
「セタカムイトンネル、8月6日に竣工式を行う」
といったような内容の記事が記載されているに留まります。

以上が、初代セタカムイ廃止から2代目セタカムイ竣工までの、おおよその流れになります。
こうして考えますと、新聞に記載されている隧道名や延長は、若干大まかに記載されているように感じます。必ずしも、正確なスペックではないような、そんな気がするのです。

余談ですが、1955年1月1日付北海道新聞朝刊8ページ(小樽後志版)に大きく、
『道路改良に明るい話題二つ』 → タイトル
『ぐんと近づく距離』 → サブタイトル1
『小樽、後志間の交流密に』 → サブタイトル2の見出しで、この記事の内容の一部に
「・・・・・セタカムイ岬トンネル212m、チャラセナイ137m、湯内1号108m、湯内2号365m、滝の澗385m、ワッカケ450mが並んでおり、目下、下デタリビラトンネル(250m)を掘削中で・・・・・」
といったことが記載されていました。
ここにある、セタカムイ岬トンネルというのは、初代セタカムイ隧道をさしていて、
下デタリビラトンネルというのは、梅川トンネルのことをさしていると思われます。

先日、私は自分の投稿をほどほどにしますと申しましたが、すべてをまとめてから結果を出すとなると、早くても来年になってしまいますので、
大変申し訳なかったのですが、予定を変更して急遽判明したことを投稿させていただきました。

zwiebelさん、掲示板をご覧の皆さん、私の投稿した記事があちこちに乱立して申し訳ありません。

(追伸)まずは、国道393号のレポート連載、お疲れ様でした。レポートのほう、しっかり読ませていただきました。
相変わらず、キロロリゾートを過ぎた落合の集落辺りは、道路の状態が良くないのですね。
でも、銀橋や金橋は、すっかり改良されたようですね。
あと、倶知安市街地の近くの十字交差点の一旦停止は、道路の形状からして、今のままではどうしても、どちらかの国道の部分が一旦停止にならざるを得ないようですね。いっそのこと、ルートを少し切り替えればいいかなと思いますが・・・・・

さて、いよいよ蝦夷親不知のレポートですね。そちらも、これから楽しみです。
現況調書と地形図との不整合、いったいどちらが正しいのか、どのような結末になるのか、今からワクワクしています。

それでは、これからも頑張ってください。


無題  zwiebel@管理人 - 2008/09/22(Mon) 20:30 No.2492 HomePage
なんと一年で三回も崩落ですか。ひどいものですね。
その割には21世紀になってもあそこまでよく形をとどめているものです。

数十年前の新聞を見ると、道路の建設や開通は明るい話題として持ち上げられていますよね。
それが今では、とりあえずは批判から入る(特に北海道新聞とか道新とか)のも
時代が変わったということでしょうか。

多くの情報を提供してくださるのはありがたいことです。
ただそうですね、今後はセタカムイ関連の話題はこのスレに一本化したほうが
資料としてもわかりやすいかもしれませんね。


追加報告第1弾  隧道X - 2008/11/23(Sun) 21:56 No.2673
皆さん、こんばんは。

セタカムイですが、とりあえず北海道新聞地方版の後志版
昭和26年元旦〜昭和28年8月末と
昭和29年8月16日〜昭和31年8月6日までの分の調査が終わりました。

結論を申しますと、残念ながら今のところ、
セタカムイ・豊浜の詳しいスペックや経緯などにたどり着くことは出来ていません。

しかし、非常に見づらい(特に、初代セタカムイ)ながらも、
初代セタカムイ余市側坑口の状況(昭和28年7月23日付後志版 龍仙洞の特集記事)や、
豊浜隧道の前身となる湯内隧道−365m(昭和26年5月26日付後志版)
の写真が掲載されていましたので、
簡単な報告文に、これらの写真を加えて投稿させていただきます。
なお、これらの写真は、実際の原本(道立図書館所蔵のマイクロフィルム)を見ると、
もう少し分かりやすくなると思われます。

ただ、今回の投稿の写真は、まったく期待できない内容であると思います。

昭和23年8月の着工以来、総工費約1億円を費やし、
古平町沖町〜余市町湯内までの3,086mの道路が、昭和27年中に完成しました。
この区間は、トンネル工事7箇所(計942m)で、
昭和26年度まで素掘のまま工事を進めていました。
しかし、昭和26年春に起きた十勝沖地震により、各所に崩れた場所が発生したため、
昭和27年からコンクリート工事にかかり、
冬季間は電気養生による寒中コンクリート作業を続けてようやく完成し、
5年間の労力は実を結び、昭和28年6月にいよいよ開通の運びとなりました。
この区間の開通だけでも、旧道の8Kmから2.8Kmへ、
自動車の行程にして、1時間20分から約18分に短縮される。
昭和28年度計画は、さらにこの延長で滝の澗から島泊までのトンネル工事延長400m、
工費2400万円が計上され、同工事はすでに目下予算の決定を待たずして、
約70mを進めており、将来完成までに約4億円が見込まれています。

上記は、昭和28年1月17日付小樽版(昭和28年1月18日後志版も同様)の記事を、
私なりに要約したものです。

上記のトンネル工事7箇所というのは、これ以前の新聞の記事から判断すると、
初代セタカムイ・チャラセナイ・見晴・蛸穴・半・龍仙洞・滝の澗、の7箇所と思われます。
滝の澗は、隧道だけは昭和27年中に貫通しているようですので。
ただ、当時の開通の対象となった部分に、滝の澗が含まれているかどうかは分かりません。

あと、昭和26年の記事を振り返ると、見晴・蛸穴・半・龍仙洞の4隧道のうち、
まずは2〜3つが、湯内隧道365mとして吸収されたような気もします。
それが、どの隧道に該当するのかは、まったく分かりません。

それに、初代セタカムイ隧道の延長も、
果たして110mのまま進んだのかどうかさえ、疑問になってきました。
昭和30年元旦までに、212mに延長された可能性も否定できません。
もしかしたら、「側壁のない覆道のようなつくり」が関係しているかもしれません。
この辺はまだ未調査なので、分かり次第報告させていただきたいと思います。

それでは、本題の初代セタカムイ隧道と湯内隧道の写真を投稿したいと思います。
これらは、次の2つで簡単に説明したいと思っていますので、よろしくお願いいたします。


非常に見づらい、初代セタカムイ余市側坑口  隧道X - 2008/11/23(Sun) 22:03 No.2674

まずは、初代セタカムイ隧道の余市側坑口の写真になります。

写真撮影の位置は、龍仙洞の中から古平町市街地に向けて撮影しているため、
初代セタカムイの坑口は、まったくといっていいほど分かりづらいです。

ただ、道立図書館にある、マイクロを見ると、
これよりは幾分か分かりやすいと思います。

この写真では、完全に分かりづらいですが、
以前、zwiebelさんと天空開発さんが探索されて、
坑口が崩落していた箇所からほど近くに、当時の坑口が見えるように思えます。

一応、簡単に印を付けておきましたが、
分かりづらいことに変わりません。
ごめんなさいね。まだこの写真しか見つけられなかったもので・・・・・
調査を進めて、もしさらに分かりやすい写真があったら、すぐ投稿したいと思います。

写真引用元)昭和28年7月23日付 北海道新聞後志版 夏の積丹を行くB 古平の新名所に『龍仙洞』より


トンネルデータベース総合スレッド  投稿者:zwiebel@管理人 投稿日:2008/07/18(Fri) 20:24 No.2060 HomePage

トンネルデータベース関連の話題、画像の投稿などについて
特に新スレッドが必要であろうと思われる以外は
こちらのスレッドにまとめて頂く様お願いします。

レスが171件省略されています。[スレッド全体を表示]


無題  海月くらげ - 2008/11/18(Tue) 23:39 No.2670 HomePage
件の廃トンネルは現戸井トンネルの真横にあり、長さは現トンネルよりも少し短いです。
トンネル名の入った銘版は上部には見当たりません。
前の書き込みにも書きましたが坑口は開いていますので(下のほうは見えないので下半分だけ塞がっているという可能性もありますが…)、次の機会に車を降りて近寄れるところまで近寄って、ついでに写真も撮れれば撮ってこようと思います。
まあ状況から考えると、これが戸井2号トンネルなんでしょうね。銘版でもない限り確証は取れませんが。

問題は今週(というか明日あたりから)雪だということか…。
事故には皆さん十分ご注意を。


2代目キナウシトンネルについて  隧道X - 2008/11/22(Sat) 08:59 No.2671
皆さん、おはようございます。
今日は、路面状況が悪そうなので、家でおとなしくしようと思います。
まあ、気が変わるかもしれませんが・・・・・

先ほど、その他レポートの
『国道229号旧道遺構群 大森・キナウシ地区』を読み返させてもらったのですが、
そこであることを思い出しました。

2代目キナウシトンネルの接合点から先のキナウシ覆道は、
昭和63年5月下旬頃は、まだ全体がずっと外側の海が見える状態でした。

廃止直前のような形になったのは、いつなのか分かりませんが、
少なくとも、再度訪れた平成3年8月には、
コンクリートで閉塞されていたと思われる箇所からトンネルの接合点まで(591m?)、
海側も側壁で覆われていたと記憶しています。

ただ、面白かったのは、
昭和63年5月の段階で、トンネルのカーブ注意の案内と思われる看板に、
延長792mと書いてあったことです。

別に、ツッコミを入れるわけじゃないですが、
792mだったら、相当長いだろうなと覚悟していたら、比較的早くに灯りが見えたのです。
そこで、当時のトンネルと覆道の状況が分かりました。

もっとも、私の記憶なので、正確性に欠けると思われます。
あくまでも、参考程度にとどめていただければ幸いです。

ごめんなさいね。つい、暇だったものですから、
過去の話題を取り上げてしまいました。

皆さん、お付き合いありがとうございます。それでは。


無題  zwiebel@管理人 - 2008/11/22(Sat) 19:54 No.2672 HomePage
廃止後に海側も閉塞されたのかなとも思ってましたが、現役時からでしたか。
ドライバー向けにはトンネルが792m続くよと知らせるのはなるほどという感じです。
トンネルと覆道がどこで切り替わろうが、トンネル様の空間が続く距離が重要ですものね。

『日本の廃道』「大平海岸廃隧道群」  投稿者:白發中 投稿日:2008/11/16(Sun) 11:21 No.2661

 『日本の廃道』「大平海岸廃隧道群」の記事、拝読させていただきました。

 堀淳一『北海道の交通遺跡を歩く』(コンターサークル,2003年)に拠ると、永豊1号隧道の
瀬棚側坑口は藪の中に開口しているようですが、そちらは探索されたのでしょうか? 前掲書に
拠れば、瀬棚側坑口付近のみがコンクリート巻きとなっているそうです(写真が掲載されていま
す)。

 なお、同書には素堀隧道は11個存在していたとあり、汐見・わすり・鷹の巣・見晴・島小牧
・床丹の各隧道が開通した後も永豊1号隧道のみが改修のうえ引き続き使用され、大平隧道は後
年に開通したことになっています。

 ただそれですと「大平海岸廃隧道群」記事中に示された竣工年との矛盾が生じます。もしかし
たら、ですが、大平隧道の「昭和35年竣工」とは、永豊1号隧道が改築された年と云う可能性
はないでしょうか。

レスが2件省略されています。[スレッド全体を表示]


無題  zwiebel@管理人 - 2008/11/16(Sun) 22:32 No.2664

参考に歴代地形図を掲載します。
左から順に

T6測量S3発行
S32測量S35発行
S42測量S45発行
H4修正H5発行



無題  白發中 - 2008/11/16(Sun) 23:45 No.2665
 永豊1号隧道・大平隧道に付いては、もしかしたら他の隧道より3年も早く開通している大平隧道
を、永豊1号隧道が改築されたものと堀氏が誤認している可能性もあるかも知れないと思いました。


無題  zwiebel@管理人 - 2008/11/17(Mon) 00:25 No.2666 HomePage
誤認の可能性ですが、これはもしかしたらなんですけど
道路トンネル大鑑のリストをもとにしていたとしたら
少なくとも汐見〜見晴までは昭和33年と見間違えるかもしれません。
このリストでは竣工年のS38が印刷がかすれてS33に見えるんです。
http://mx11.hp.infoseek.co.jp/2hokka2.htm
まあ、もしかしたら…ですけど。


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